つつじが丘ニュータウンを望む
 
昭和45年を境に大きく転換した猪名川町。それは、南部を中心に行われた大規模なニュータウン開発によるもの。鉄道が開通し、人口は約4倍に増加、活発な人ともののまじわりは新しい猪名川町をつくっていきました。
 猪名川町は、戦後高度経済成長期以降、京阪神都市圏の近郊という立地を生かして、阪急日生ニュータウン、猪名川パークタウン、つつじが丘住宅地などの大規模なニュータウン開発が行われていました。その結果、人口は大きく増加し、幹線道路や鉄道、バス路線が整備され、それと同時に商業が発達、生活環境が向上するなど、50年間でまちは大きく発展しました。
 昭和45年、人口7,032人の猪名川町では、阪急日生ニュータウンの建設が起工し、町南部の丘陵地を中心とした大規模な宅地造成が始まりました。また、町内のバス路線が改編・新設され、昭和53年には念願の能勢電鉄日生線が開通、大都市圏中枢都市への通勤・通学の旅客輸送力が一挙に増強されたのです。
 昭和54年には人口が1万人を超え、10年後の平成元年には2万人を突破、平成16年、ついに35年前の約4倍、3万人に達しました。
 こうした人口増加の背景には、大都市近郊という立地と発達した交通網、都市公園の整備など優れた生活環境とともに、四季の訪れを身近に感じることのできる山々や猪名川といった豊かな自然があることによります。
 まちの魅力を生かしながら発展し、住みやすく、何度でも訪れたくなるまちづくりを進めてきた猪名川町。平成17年には町制施行50年を迎え、今後も「人と自然がやさしくとけあい、未来に輝くふるさと猪名川」を実現するため、「猪名川町らしい」まちづくりを進めています。
   
平成元年に完成した商業施設。日生中央駅前周辺は住民生活の中心的存在として充実、発展していきました。
   
 

Beginning in the postwar period of high economic development,Inagawa Town has been involved in utilizing suburban zones in the large metropolitan area encompassing Kyoto, Osaka, and Kobe to develop Hankyu-Nissay Newtown and other large-scale satellite towns and cities. In 1978, the long-awaited Nissay Line operated by the Nose Electric Railway was inaugurated to improve the local living environment, which caused the population to swell by approximately four times from 1970 to 2004. The appeal of Inagawa Town, which lies in the fact that it offers a living environment of exceptional convenience positioned in the heart of a rich natural setting, has brought about numerous changes throughout the five decades of our existence.

 
表玄関・能勢電鉄日生線の開通
表玄関・能勢電鉄日生線の開通  昭和40年代当時、阪急日生ニュータウン団地の開発において、1万人を超す通勤の足の確保は必要不可欠でした。そこで、昭和47年、阪急日生ニュータウンの造成事業主・日本生命保険相互会社は、能勢電鉄と協定を結び、日生線の建設に着手しました。昭和53年には念願の日生線が開通し、昭和59年、駅前にバス・タクシー乗り場や駐輪場のある交通広場が設けられ、本格的な阪急バスとの乗り入れが実現、快適な交通網が整えられました。その後も駅前周辺には、住民サービスの核となる日生中央センタービルや商業施設が建設され、現在も住民生活の中心的存在として大きな役割を果たしています。
 
≪前項目 表紙へ 次項目≫
 
大都市近郊の魅力ある立地で進んだ団地開発 第2章 めぐりゆく刻の軌跡 発展のとき 壱 Developing satellite towns and cities and opening railways つつじが丘ニュータウンを望む 猪名川パークタウン 日生中央サピエ 人口・世帯の推移 商業の推移