半世紀のあゆみ A half-century of history
昭和40年〜昭和49年 ニュータウン開発が計画され、まちの転換期となる The development of satellite cities is planned, bringing us to a period of transition.
 
  昭和40年 8月   夏期学生村が開校  
           
  昭和42年 3月   柏梨田町営住宅9戸完成  
           
    4月   日本生命が阪急日生ニュータウン計画発表  
           
    5月   学校給食センターが開所  
        4代目町長に水越政夫氏再任  
           
    7月   町営万善プールが開設  
           
  昭和43年 10月   町交通災害共済の開始  
           
  昭和44年 2月   町立つくし園が開設  
           
    3月   木津天澤寺石造燈籠が県文化財に指定  
           
    5月   木津以南4952ヘクタールを都市計画区域に指定  
           
    8月   大島小学校柏原分校の廃校  
        都市計画審議会の発足  
           
  昭和45年 1月   ゴミ収集を開始  
           
    5月   阪急日生ニュータウンの起工式  
           
    6月   山陽自然歩道の開通  
           
    10月   木津以南市街化調整区域に指定  
           
  昭和46年 3月   町振興計画まとまる  
           
    4月   町花ツツジ、町木マツに決まる  
        町民会館の完成  
           
    5月   5代目町長に水越政夫氏再任  
           
    8月   南北学校プールの開設  
           
  昭和47年 6月   梅雨集中豪雨死者2名  
        上水道事業に着工  
           
    10月   消防特設分団の発足  
           
  昭和48年 6月   銀山日本鉱業が閉山  
           
    7月   鎌倉変電所が運転開始  
           
    11月   6代目町長に原豊作氏就任  
           
  昭和49年 3月   阿古谷小学校体育館が完成  
           
    4月   南保育所が開設  
           
    7月   ゴミ焼却場が開設  
           
    9月   猪名川町同和対策審議会答申  
           
    10月   万善浄水場が完成し、上水道の給水開始  
           
 
 昭和44年、木津以南4,952ヘクタールが都市計画区域に指定され、翌年には阪急日生ニュータウンの起工式が行われました。こうして、昭和40年代後半、急速な都市化の波が猪名川町に訪れました。
 昭和30年、旧2村の消防団が統合され、31分団500人の猪名川町消防団が誕生しました。その後、急激な人口増加に備えて、昭和47年には常備消防の本部付特設分団(5名)を設置、また庁舎に消防本部詰所を設置して、1班2人、2班の4人交代で消防任務にあたりました。昭和49年、特設消防団員は猪名川町厚生課消防係と兼務となり、勤務は24時間体制となりました。 
 
昭和30年〜昭和39年昭和40年〜昭和49年昭和50年〜昭和59年
昭和60年〜平成6年平成7年〜平成18年
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島の秋祭り(昭和40年ごろ) 阪急日生ニュータウンの開発 昭和40年代 ニュータウン計画発表(昭和42年) 山陽自然歩道(現在の近畿自然歩道)の開通(昭和45年) 学校給食センター開所(昭和42年) 銀山日本鉱業閉山(昭和48年) 北プールの開設(昭和46年) 南保育所開設(昭和49年) 写真でみる消防団の昔 The fire brigade in times past 猪名川町消防団(昭和40年代)